熱帯モンスーン気候
カンボジアは全域が季節風(モンスーン)地帯に属し、国土北緯10度~15度の亜熱帯圏に属し、所謂熱帯モンスーン地帯である。雨季(5-10月)、乾季(11月-4月)に1年の気候が二分される。
気温:平野部では年平均27度C前後。最高気温は年中30度Cを超える。12月~1月の数週間は最低気温が20度C以下になることもある。これが標高の高い山間部や高原地帯となると、1月に気温が10度C辺りまで下がる時がある。カンボジア人の風邪引きが多くなる季節である。
日本では見えない南十字星は1~3月、未明の頃に南に見える(最も高くて視度15°ほどである)この時期は乾季の最中であるので風が少ない夜に市街地を離れれば、星空が鮮明に見える。普通視力ならば天の川や降るような無数の星が満天に拡がる。
風土は地形と気候から生まれる
中央部の西部にあるトンレサップ湖を中心とする陥没地形は盆地であるが、周囲の山地は南西から南にクラヴァン山脈(カルダモン山系、キリロム山系、ドムレイ山系が連なる。いくつかの山は1000m超えるとはいえ大方は数百mの山々で、同国の最高峰のアウラル山(標高1771m)はクラヴァン山脈から少し離れた北にある。また、キリロム山系からドムレイ山系も数百mの山々の続きで、最も標高の高い場所は南端のプノン・ボコ―で標高1079m、そこから標高数十mに一気に弾劾となって海際に到る。これらの山系は雨季には南から季節風が山系にぶつかり最も雨量が多く、その大方は鬱蒼たる熱帯樹林に覆われている。盆地の北側はタイ国境となっているダンレック山脈までゆるやか緩斜面でダンレック山脈の南側は急崖となっており北側(タイ側)は緩やか斜面でコラート高原に到る。中央部にトンレサップ湖とバサック川があり、南・北の山地も高くても数百mであるため、盆地特有の内陸性(気温の寒暖差)を示すことが少ない。また、北東部に丘陵や高原のモンドリキリ、ラタナキリ州があるとは、山系と比べれば標高は低く、カンボジアの国土は大部分は標高100メートル以下である。ちなみに首都プノンペンのバサック川沿いの標高は10m以下である。
季節は大きく雨季と乾季に別れ、その乾季もカンボジア人がロダウ・トロチェア(涼しい季節)とロダウ・ロギア(寒い季節)そしてロダウ・クダウ(暑い季節)に分かれる。一般に雨季は5月~10月、乾季は11月~5月初めだが、現地の人にとっても快適なのは11月、12月で1月ともなれば、北から季節風が木枯らしのように感ぜられ、気温が20度C前後まで下がると「寒い」「寒い」を連発し中には歯の根も合わないように寒さに震える。日本人が実際に暮らしてみると快適な気候は2か月ほど、後は少し暑いかとんでもなく暑い。一般に未明に気温が下がっても8時過ぎれば暑い。クラ―を夜止めて熟睡できるのは、2か月ほどで後は夜毎の熱帯夜(気温25°以上)である。
乾季
都市部ではカンボジア人の家ではテレビを流しぱなしにしているのが多い。音量も大きい。電話も大声である。また、一人一人の声も大きい。カンボジア人はべトナム人のお喋りを猫が騒いでいるようだ、という。一方ベトナムには、古くから大声で話すひとを「お前はカンボジア人のように話す」と言う(司馬遼太郎の南ベトナム滞在記)。筆者もカンボジア人の話し方はうるさい、と思っている。が、田舎で夜を過ごしてみて、大きな声で冗談でも言ってなきゃ、寂しくてしょうがないのだ、と思っている。
乾季は海だ!
乾季のお勧めは海である。風もあるし、何しろ土ぼこりが少ない。暑さも海お陰でプノンペンよりは和らぐ。海と言えばかつてはシハヌークビル(カンボジア人は一般に「コンポンソム」と呼ぶ)であった。その頃の写真だが中国人の街と化して欧米系は他へ逃げるか、沖合の島々によりワイルドな自然を求めて行く。
雨季
さて雨季であるが、雨が1日中降るということはほとんどない。5月に始まる雨季は、6月になると週の半数日を超えて熱帯驟雨(スコール)がやってくる。プノンペンでは主に午後2時以降である。驟雨は雷を伴うことが多い。朝は快晴、昼にかけて積雲が増えてくる。広く見渡せる所なら東に空に入道雲がもくもくと沸き上がり、かなとこ雲にでもなると必ず熱帯驟雨が来る。大きなかなとこ雲を東に見て、雲の下部が青黒くなって左右に延びるとその下に黒灰色の簾がかかると真下は驟雨である。
田舎の子どもたちは雲を見なくとも1時間前から熱帯驟雨の訪れを当てる。どうして解るのと聞くと「雨の匂いがする」と答える。おそらくわずかな風でもその湿りで経験上、驟雨の訪れがわかるのだろう。
この青黒い雲から下がる簾がゆっくり東から西に移動する。日本とは天気が逆に変わる。これは大きく見れば日本列島上空のジェット気流(偏西風)に対してカンボジア上空は貿易風地帯なのだろう。天気は東から西へ変わる。季節風は南と北に逆転する。暑季(3-5月)季節風の向きが逆転する凪の季節である。南側に安定すると雨季になるのだ。熱帯驟雨は長くで2時間ほどで終わる。驟雨が豪雨となっても30分ほどである。驟雨が来る前に風が強く吹く。これがつむじ風のようになると5-10分後には豪雨である。雨季に象徴的なのは僧侶は寺に籠る居安吾に入る。これはこの時期、緑が生き生きと輝き、虫が多くなる季節。釈迦の教えで虫ですら命であり、僧侶が出歩いて無用な殺生をするのを禁ずるという教えから来ている。寺からでて托鉢に回るのは9-10月のお盆を過ぎてからである。
また、雨季でも7月の半ばから8月の初めころまで小乾季といって熱帯驟雨が来る日が少なるなる。8月半ばから10月に熱帯驟雨の来る日が多くなり、降る時間も長くなる。10月―11月は季節風の向きが逆転する。やがて乾季で涼しい時期となる。
この時期にカンボジアの伝統の最大の祭り「水祭り」が行われる。これは、水の神への感謝と豊作の祈りの行事でかつては神の意思の在りかを知る競艇であった。同じ祭りはクメール族の集落のあるタイ東北部からベトナム南部のメコンデルタまで行われている。
季節と観光
カンボジアに関する旅行ガイドブックには、よく「雨季を避けて乾季に旅する」ことを勧める記述があるが、カンボジアを知る者には観光旅行ベストシーズンは小乾季(7-8月)と涼しい季節(11-12月)である。筆者もそう思う。3-5月は海辺のならともかく、勧めない。乾季でもいわゆる暑季である。雨降りはなくとも大地は乾ききっており、土埃で遠くがかすんでいる。11月ならまだ降雨があり、緑も活き活きとしている。道もぬかるみ道は少ない。それでも7月半ばから8月初めはもっとよい。雨季は遠くまで見通せる。また、雨の後もよい。緑が活き活きと輝き、原色がそれぞれに自己主張し、コンストラクトの激しい光景を眼にする。カンボジアが最もカンボジアらしい姿になり、降雨の去った後の風も心地よい。よい写真を撮るならこの季節だと思っている。ただ、激しい雨の未舗装の道は泥濘の道となり、しばしば車がスタックしている。
雨季とカンボジア時間
カンボジアには独特のカンボジア時間がある。例えば農作業は朝早くから始めて、朝9時ごろには終わりしてしまう。夕暮れまで働く気になれない」暑さで昼下がりは村々はぐったりとしている。外を歩く人は少ない。また、雨季の降雨の気まぐれ訪れは、まさにカンボジア人の時間の観念を決めている。「時間を守れない」は風土特有の気まぐれな気候からくる。カンボジア人が友人と遊びに行って、「今日、楽しかったね。明日もいきたいな、あいたいな」と言い合って、翌日会う者はいない。これはコミュニケ―ションの一つの手立てに過ぎない。彼らは言う。「会わなければいけない時は時間を決める。」また、「会うにしても遅れてゆく。相手が待っている気づかいはないから」と。確かに雨季は時間を決めて約束してもどうにもならない時が多い。乾季には?と言われると「遠くなら最初からいかない」だろう。
カンボジアに春と秋はない
当たり前のようだが、四季のある国から来てカンボジア人に春と秋を実感として教えるのは難しい。元来、それらの季節に当てはまるクメール語がない。ロダウ・トロチェア(涼季)という言葉はあるが、それは暑さに比べて涼しい、快適な、気持ちの良いという言葉である。カンボジアで打っているクーラーには初めから温風はない。クーラーをマシン・トロチェアといい、快適な機械という意味である。タイと同じでカンボジアでもクーラーをガンガンつける。快適とは贅沢と解しているのであろう。タイの長距離バスに乗って風邪を引いた、体調を壊したという日本人は多い。だからロダウ・トロチェアを秋と言っていいか疑問である。それにカンボジアには落葉広葉樹をほとんど見ない。街路樹ではタマリンドのようなマメ科の常緑広葉樹が多い。落葉広葉樹はわずかにキリロム高原に見る。ここにはカンボジアには珍しくカラマツ林があり、落葉広葉樹を黄色を見る。熱帯や亜熱帯の森の中に入ると解るが、鬱蒼と灰黒色がかった濃緑に周囲が覆われ、色彩が極端に少ない。樹林の花を見ることは稀で魔境に近い。
一方、春という言葉を実感せるのはもっと難しい。まして日本人が春の桜や藤に夢中になる気持ちなど宇宙人に近い。そんなものかと日本人に合わせて「きれい」なんていっているだけで、阿保かいな、というのがカンボジア人の本音だろう。花なんてほんとうはほとんど興味も関心もない。
ましてカンボジアにはフランス人設計の公園はあても庭はない。カンボジアから西はインドまで同じであろう。カンボジアの王宮でもフランス人のつくった庭で、花卉は全て鉢植えで運び入れたもの。小中国ベトナムには庭の概念がある。花や鳥を飼い愛でる習慣も根付いているが、カンボジアにはいずれもない。犬、猫とて同じである。フラワーデザイナーといっても単なる盛花、記念日や行事で並べるだけで普段は花瓶一つない家が多い。それはカンボジアの気候風土にも関係する。
春は冬から夏の間の季節で暖かいと説明すると春はロダウ・コクダウ(少し暑い季節)になるがカンボジア人にはピンと来ない。春になるとたくさんの花が咲く、と説明するとロダウ・プカーリッツ(花咲く季節)となるが、これも実は合わない。確かにカンボジアでは、3月頃からプノンペンの川沿い(リバーサイド)では桜より濃い色のピンクの花が咲き乱れし、シソワット通りの街路樹では薄紫の上品な花が咲く。タイの国花ゴールデンシャワーの黄色の花は4-5月(ミャンマーでは若い娘さんたちがこの花で競って髪を飾る)、熱帯を代表する火炎樹の濃い朱色の花は5-7月である。ブーゲンビリヤの花は1年中で色の種類も多い。
だが、いずれも日本と比べ花の季節が実に長い。それ故に花を惜しむという感覚が育まれないためではなかろうか、と思っている。
気候風土と色彩の好み
カンボジア人の女性の服装でその色使いを見るに金糸、銀糸やビーズなどの飾りの付いたものが多く、また淡い混色の布地は少ない。この色の感覚の違いこそ、日本とは決定的に違うように思う。コントラストの強い色彩が子どもたちの絵や女性を服装に表れる。本当はキラキラとか原色の自己主張を競い合うような色柄を好むように見える。また伝統衣装は結婚式の主役のみで、参加者の女性は欧米系のドレスである。伝統より欧米系のほうが上だと思っている節がある。植民地時代の欧米系婦人の服装への憧れが強く印象に残っているためであろう。