生活基本情報5 産業・経済編

国際通貨基金(IMF)によると、2014年のカンボジアのGDP(国内総生産)は約165億ドルである。一人当たりのGDPは1,080ドルであり、世界平均の10%に満たない水準である。2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は828万人と推定されており、国民の半数を超えている。国際連合による基準に基づき、後発開発途上国に位置づけられている。

それから10年、2021年になると貧困層とはいえ、実態として1日2ドル以下という生活はあり得ず、表に出ない数字によって人々は生きている。また、農村は貧しいとはいえ、不況やコロナ禍の都市部労働者の巨大な受け皿となっており、カンボジア人の大半は食えなければ田舎に帰ると言う

カンボジアのGDP

歴史的にポルポト政権期以外に飢えを知らない国であった。敗戦直後の日本も大量の餓死者が出ると言われながら大半の人々はどうにか息抜き、高度成長の時代を迎えた。一方、現代の高度産業社会を生きる日本人は、不況やコロナ禍で多くの人々が疲弊し社会保障もそうした人々を支えきれず、脱落、孤立してゆくなかで貧困の底が抜けたという状態に至っている。カンボジアには未だ家族という連帯や保障が残っているが、日本は形骸化した社会保障の形骸化で自助を謡うなかで財産の有無が未来を決めるような時代になってきている。

沸騰アジアの熱気は市場にある。この熱気こそ経済成長の真の原動力である。

主要産業は農業、漁業、林業などの第一次産業である。近年は観光産業と縫製産業が成長し、最貧国ではあるものの外国からの投資も大きな伸びを示している。おもな鉱物資源として燐(未開発)、マンガン(未開発)、宝石がある。塩を4万トン生産する。経済成長率は、2004年に10%、2005年に13.4%、2006年には10.4%にという驚異的な伸びを示している(カンボジア政府の統計)。が一方でその驚異的な伸びは買弁資本と化した格差の拡大と化した外国資本の流入という様相を呈してきた。

買弁資本:(ばいべん)は、清朝末期の1800年代から1940年代にかけて、欧米列強(銀行や商社)の対中進出や貿易を支援した中国人商人のこと。 転じて、外国資本に追随し、自国の利益を損なうような行為や人物のことを指す。

高度成長のひずみ

事実、首都プノンペンや国際港シハヌークビルを見れば、見かけの姿に惑わされなけれ、そメインストリートから一歩入れば、その猥雑さ汚さ(不衛生な環境)に驚くことであろう。

首都プノンペンは経済成長によって市街地が拡大しここ5年の中国資本の投資によってタワーマンションや高層ビルが見られるようになってきたが、地価の高騰によって周辺部に低所得者の住む地域はドーナツ状に拡大している。低所得者層の多くは季節労働者で公式の都市住民になれない人々である。一方シハヌークビルは各国の報道で10年ほど前から第2のマカオと言われていたが、ここ5年は中国人の街と化し、カンボジアの少し余裕のある層でも行楽を避けるようになっている。

そして2010年頃から高級車の数では東京の六本木より目立つと言われた首都プノンペンでは、2020年現在、先進国に匹敵する量の高級車が街中を走っている。カンボジアの富裕層に近い者ならベンツかレグサスがごく普通の乗用車で、戦車のようなハマーもよく見る車である。その一方で5年ほど前まで素焼きの陶器を売る牛車をみかけ、今は牛がオートバイに変わった。

新型コロナウイルス禍のカンボジア

2020年7月、カンボジア国立銀行は、新型コロナウイルス感染拡大の影響から、2020年のGDP(国内総生産)成長率がマイナス1.9%減少するとの見方を発表。その他の周辺国と比較すると良い値ではありますが、絶えず右肩上がりの傾向にあったカンボジア経済のGDPは、2020年において過去最低レベルのマイナス成長率となる見方が強い。また、2021年に入り、今までカンボジアは奇跡的にコロナ禍がほとんどなく死者も0であったが、2021年2月20日市中感染事件と呼ばれるコロナ禍第3波に襲われ、5月10日現在、感染者累計19743人 死者126人を数えるほどにまでなり、5月入っても感染が衰える兆しが見えない。

2020年のGDP(国内総生産)成長率の予測はマイナス1.9%減

2020年7月、カンボジア国立銀行(NBC=National Bank of Cambodia)は、新型コロナウイルス感染拡大の影響から、2020年のGDP(国内総生産)成長率がマイナス1.9%減少するとの見方を発表しました。

2020年のカンボジア経済におけるGDP成長率については、複数の予測がなされており、同年9月にアジア開発銀行(ADB)が発表したカンボジアのGDSP成長率はマイナス4.0%減の予測。

同年4月に国際通貨金(IMF)が発表した「世界経済見通し」によると、2020年のカンボジアの経済成長率はマイナス1.6%減となっている。

それでもIMFは、「今後もカンボジア経済の成長が続く」と予想

コロナ禍の落ち込み予想にも関わらず、カンボジアは高度経済成長の国である。1998年のアジア経済危機の後から、後述する2009年の世界金融危機前の2007年の10年間で、平均GDP成長率は9.4%に達していました。が、コロナ禍のお陰で経済の回復時期は、各種機関の見通しよりも幾分おくれるもの思える。

2009年リーマンショックは一時的で2010年から急回復に

さらに2009年には、サブプライムローン問題に端を発した世界同時不況の影響を受け、実質GDP成長率は0.1%と落ち込んでしまいましたが、2010年以降は急回復を遂げ、翌2010年は6.0%にまで回復しています。2011年~2018年も7%前後の成長を続けており、 IMFは今後も6~7%成長が続くと予想していた。

2019年9月にアジア開発銀行(ADB)が発表した「アジア経済見通し2019年改訂版(Asian Development Outlook (ADO) 2019 Update)」によると、カンボジア経済は引き続き堅調に成長すると見られており、2019年のGDP成長率は7.0%(前回予測7.0%)、2020年は6.8%(前回予測6.8%)と予測されていた。

米中貿易戦争などによる世界経済のピークアウトや、先進国および中国、インド、韓国、タイなどアジアの主要経済国の成長が減速する中で、カンボジア経済は、好調な輸出、観光、国内需要などによって成長すると見られている。2020年のGDP成長率こそ過去最低レベルのマイナス成長を記録することが予測されていますが、今後、IMFは、新型コロナのワクチンが完成するなどして感染拡大の抑制に成功した場合、翌2021年には再びプラス5.8%の成長率に回復すると予測されているが、コロナ禍次第で遅れる可能性もある。

唯一驚異的な回復を見せつつある勝ち組ベトナムを除けば、カンボジアのGDP成長率は、コロナ禍が収まる2021年晩期には比較的良い値が期待できるという見方が強いが、その回復時期は幾分遅れずれ込むるだろう。

2021年2月報道、カンボジア唯一の外港:シアヌークビル自治港(PAS)の財務報告によると、2020年の利益は54%減の1037万ドルであった。また、カンボジア証券取引所(CSX)に上場している同社のEPS(1株当たり利益)は2セント(前年7セント)に減少した。それでも、昨年末の株価は1株あたり1.50ドルと前年に比べて35%上昇している。同社の株価は1月4日に史上最高値の1.58ドルに達しており、先週金曜の終値の時点で時価総額は1億3019万ドルとなっている。

PASは、カンボジアで唯一の商業深海港であり、現在、容量を2倍にする拡張プロジェクトが進行しているほか、敷地が68ヘクタールあるシアヌークビル港経済特区も運営している。

2021年3月16日の報道:プノンペン都は4月にロックダウンを行った。

ピザカンパニーやクリスピークリームドーナツなどの外食チェーン70店舗を運営するエクスプレスフードグループ(EFG)によると、2月20日市中感染事件の影響などにより、同社の売上高が約80%減少したという。この減少が4月にさらに深刻な打撃を与えている。

同社のゼネラルマネージャーは、「誰もが安全上の懸念から旅行や外食をやめたため、2月下旬の売上はほぼゼロだった」と述べた。同氏によると、売り上げがピークとなる週末でも、1店舗あたり1日100ドルしか売り上げを記録していない、という。同社は現在約1200人以上の従業員を抱えており、欠員の補充を停止することで雇用を調整している。3月も深刻な影響が予想されることから、一部の店舗を閉鎖するか、運営コストの削減のみに専念するかを来週に決定するという。この事件が発生する前、同社は2021年に全国で13店舗を出店する計画だったという。

カンボジア経済 その動力は4つの牽引力

カンボジア経済の産業構造には「経済を動かす4つの牽引力」があると言われている。それは「縫製業・製靴業」「観光業」「建設業・不動産業」「農業」と4つとなります。

「縫製業・製靴業」

Garment workers at a factory in the capital during Khmer New Year last year. KT/Khem Sovannara

先ずは「縫製業・製靴業」ですが、これは近年急速に拡大した「カンボジアからの輸出」の牽引役とも言える産業です。日本およびアメリカ・ヨーロッパ諸国のアパレル企業が、人件費の安いカンボジアに対して、自社の低価格製品の生産委託を増加してきたことが大きな要因となっています。

またカンボジアは後発開発途上国(※ LDC=Least Developed Country)なので、先進諸国から輸入関税を免除されていることも、カンボジア産の縫製品の輸出拡大を後押ししています。

裁縫の次に多い靴工場

※国連開発計画委員会(CDP)が認定した基準に基づき,国連経済社会理事会の審議を経て,国連総会の決議により認定された特に開発の遅れた国々。3年に一度LDCリストの見直しが行われる。

外務省HPより抜粋)

*「縫製業・製靴業」の工場経営は外国華僑資本の経営が圧倒的に多い。

 

「建設業・不動産業」

 

カンボジアは、1993 年の初の総選挙以降、新憲法の制定をはじめ、行政の効率化、司法制度の整備、経済財政改革といった国内の重要政策の改革を進めている。それに伴い、同国への投資は増加している。カンボジア経済は緩やかな成長を続けており、カンボジア国立銀行によると 2018 年の同国経済成長率は衣料品の輸出、観光業、建設業の堅調な業績により約 7.3%に達すると予測されている。なお、国際通貨基金(IMF)が 7.25%、世界銀行が 7.1%、アジア開発銀行が 7%といくつかの国際機関が同様の予測を発表している。海外からの投資も増えており、特に建設業に対する注目度は高い。

2010年頃までは、カンボジアの建設業の伸びは、各国の経済援助による大型プロジェクトによって支えられていた。例えば、日本なら国道5号と国道6号線の回収、きずな橋やつばさ橋の建設である。2010年を過ぎる頃から韓国や中国の経済支援大型プロジェクトが増え、中でも中国が圧倒的存在感を示している。現在もカンボジア初の高速道路や新空港は中国の援助と中国企業の請負によって実施されている。

建設業はカンボジアの主要産業の一つである。近年、多くの高層ビル、住宅、公共施設が建設さ
れ、2014 年以降 2017 年までの 4 年間、建設プロジェクトの件数は増加傾向によって生まれたものである。それは、中国人の街と称されるシハヌークビルやプノンペン都に集中している。現在、プノンペンにおいても 133 階建の TBR Twin Tower World Trade Centre(投資額約 27 億米 USD)をはじめとして多くの高層ビルや住宅街が建設されており、今後も中国やシンガポールの投資家を通じてシアヌークビル州での建設プロジェクトも増えていくと予測されている。2017 年におけるプレアシアヌークビル州の建設案件は 188 件で、そのうち最大規模の建設プロジェクトは、シンガポール系企業のHong Lai Huat Group が 1140 万 USD を投資して建設したホテル D’Seaview であり、当ホテルは 2019年に完成である。その他、カンボジア最大の不動産会社 Prince Real estate group 社は多目的ビジネスセンターとして Prince City Center を約 50 億 USD で建設する。カンボジア建設業の成長は著しく、2017 年度は、建設案件が全国で3052 件、建築総面積は 10, 746,219m2、総投資額は前年比 22.31%増となる約 64 億 2800 万 USD であった。そのうち、住宅建設プロジェクトは 2291 件、建築総面積は 5, 565,191m2、総投資額は約 22億 3000 万 USD である。プノンペン市内の 5 階建て以上の建設案件は 188 件であった。だが、2019年ごろから建設ブームに陰り見られ、2020年のコロナ禍は大きな打撃となった。2019年段階で首都プノンペンの建設不信はバブルではないか、という懸念があった。事実、タワーマンションや住宅街も投資目的の購入が目立ち、明りがついていないマンションや住宅が目立っていた。

プノンペン・リバーサイド再開発構想 これもまた中国頼みである。

 建設業における労働者不足課題

カンボジア国内での建設プロジェクトの増加は、同時に多くの雇用を創出し、一日あたりの雇用者数は約 25,000 人から 30,000 人と推定されており、プノンペンでは約 9,000 人から 12, 000 人の労働需要があると言われている。なお、労働者の月給は非熟練工の場合で 150~250 USD、熟練工は350~450 USD、エンジニアもしくは建築家は 450~2,500 USD である。現在、非熟練工の数は200,000 人弱にものぼると想定される一方で、熟練工や現場管理を担える者は限られており、熟練労働者の人材確保が難しくなっていると国土管理・都市計画・建設省はコメントしている。今後、カンボジアへの投資が増えてくるとこの問題はさらに深刻になるであろうと予測される。

その理由として、カンボジア国内の労働者の 80%は農業従事者であり、季節労働者として建設業へ従事することになるため、農繁期になると地元に帰ってしまう。よってプロジェクトの責任者は工事が完了するまでの間、作業員を確保できる保証がない。また、日雇い労働者はより良い雇用条件を求めて職を転々とするのが実状であり、すぐに仕事を辞めてしまうことから、労働者の技術不足も施工会社を悩ませる要素となっている。

そんな中、ベトナムやラオスには仲介業者(運び屋)が介在するカンボジア渡航を目的とする密入国ルートがあり、コロナ禍の中でも多くに中国人労働者がカンボジアを目指している。それはカンボジアの建設労働者が農民出自の季節労総者であり、また十分な識字能力もない者が多く、非熟練労働者が大部分であるためである。

密入国で検挙された中国人たち

観光業

カンボジアの観光業は2018年に43億5000万ドルの総収益を得ており、前年の36.3億ドルから19.8%の増加を記録しています。
その内訳としては、中国人観光客が最大の供給源とされており、200万人近くの中国人がカンボジアを訪れているともいう。
ちなみに2017年における観光業の収益は、前年比13.3%増の36億3000万ドル。外国人旅行者数は560万人で、前年比11.8%の増加した。

さらに2020年には年間 750 万人の外国人訪問者数を想定したが、コロナ禍で3月以降、外国人観光客は急激に落ち込み、2021年は在住外国人の観光客と国内観光客に頼る状態の低迷が続き、2021年のコロナ禍第3波では、プノンペン都やシハヌークビル市のロックダウン、観光収入の主要地でも封鎖が拡がり、国境地域のカジノ地域がコロナ感染拡大の震源地で閉鎖が相次ぎ、観光業は未曽有の打撃を受けている。その観光業の回復はコロナ禍次第で22年の夏以降に回復が持ち越された感がある。

2020年、政府・観光省は外国人観光客の到着は劇的に減少し、前年比で80%減少して130万人になった発表しているが、事実は80%という数字よりもっと大きいと言われている

「農業」

国土の約3割が農地として利用されており、その8 - 9割は水田である。次に多いのは「チャムカー(畑)」と呼ばれる畑地で、およそ農地の10 - 15%程度とみられている。さらに、「チャムカー・ルー(上の畑)」と呼ばれる畑があり、農地の10 - 15%程度を占めているとみられている。これら3種の農地のほかに、焼畑、ゴムの木のプランテーションがある。

 

食料作物と主要な工芸作物の作付面積を見ると米が圧倒的に多い。トウモロコシ、キャッサバ、甘薯、野菜類、緑豆などの食料作物、落花生、大豆、胡麻、サトウキビ、タバコ、ジュートなどの工芸作物の作付もあるが、その面積は非常に狭い。

ラタナキリのゴム園

カンボジアの国土に占める農地面積は21.6%に及び、人口の34%が農業に従事している。生産年齢人口が人口の55.8%であることを考慮に入れると、カンボジアの主産業は農業である(以上、2002年時点 全人口の6割超)。

しかしながら、小農自作農が主体のカンボジアの農業の労働生産性が低く、農産物は国内需要を満たすにすぎない。主要穀物では米(417万トン)の生産に特化している。商品作物の生産では葉タバコと天然ゴム(4.6万トン)が目立つ。近年、都市人口の増加によって近郊農業の現金収入が増えている。

カンボジアの経済財政省によると、国内における農業の成長率は、2003~2007年が7.2%、2008~2012年が4.5%となっており、過去5年間では1%に低下。GDP(国内総生産)における農業比率は、2008~2012年の33.6%から、5年間では27.1%に減少しています。上記のように、カンボジア経済における農業が占める割合は少しずつ低下しているものの、いまだ25%以上と高い水準にあり、主要産業として位置づけられる。

・10年前までカンボジアは「農業の国」と位置付けられ、農村人口が全体の85%近くを占めている。都市に居住する者も農村からの季節労働者や就業者が多い。戸籍が農村にあるため、正月やお盆の時期には帰省する者が多く、都市部ががら空きになるなど依然都市部に居住する者の多くが農民の兼業と見られている。

内戦と続くポルポト政権による農村疲弊

・米軍による爆撃で都市には農村から流入する難民が集まり、ポルポト政権時代(1975ー79年)には都市部の住民が農村に追いやられ、その過程で多くの住民が行き倒れで死に、無事農村にたどりついた者たちも「新住民」と農村に居住していた旧住民から差別され、政権下で苦難を舐めた。また、急激な共産化のために一枚の田に生長の異なる籾を混入させて撒くなど農村の生活を知らない政権幹部(多くはフランス留学帰り)の無知と理論信仰によって生産量が劇的に低下、強制労働の貯水池、かんがい用水づくりや家族の解体(年少者を親から引き離し共同生活)、強制集団結婚など)で労働意欲の減退、強制挑発による米を武器輸入と交換するために中国へ輸出など、カンボジア始まって以来、初めての「飢え」を生じた。

プノンぺンのトゥールスレンにあった虐殺刑務所(元中・高校:リセを利用)

こうした指導部による失政を転嫁するための「反革命」探しが激化したのがポルポト派による同胞殺戮であった。現在、キリングフィールド(殺戮地域)」と呼ばれる場所がカンボジア各地に残っているが、事実はカンボジア全土が強制収容所であり、キリングフィールドであった。そのため、ポルポト政権前の役人、華僑、チャム族、僧侶、教員など当時の知識層の意図的殺戮から一般の農民層まで「反革命」の名で殺戮が及び、政権内部の粛清にまで連動した。当時の国民の5人に1人が死亡し、家族のなかで犠牲者のいない家族が存在しないとまで言われる第2次世界大戦後で最大規模の同胞による同胞の大量殺戮に至った。プノンペンで下れるツールスレン収容所は実はほぼ全員、ポルポト政権の党員たちである。他に思わず「昔はクイテウ(麺類)が食べられた」と言っただけのささいなことやあいつ気にいらない、という密告競争によって殺害された者のほうが圧倒的多い。

刑務所では一人ひとりが写真を撮られた、中には顔の腫れ上がった少女や元外務省の役人の妻で赤子を抱く姿の写真も残っている。彼らは全てポルポト派であった。ここでは2万に人ほど、侵攻したベトナム軍来た時は数人の囚人しかいなかった。

復興

約15万人いた中等教育教員で生き残ったものは150人前後と言われ、ほぼ教育は崩壊した。ポルポト政権崩壊後、農村で田畑などの耕地を元の状態に戻すの10年かかったという。初等教育はとりあえず「読み書きのできる」者が村で教員になった。また農業生産面では1998年ようやく作付け面積、籾生産量、役牛頭数が1970年以前に回復した。

農家の役牛は水牛や食肉にも利用される牛が一般的で他に豚、鶏、家鴨等を飼育する。ブロイラー飼育や淡水業の養殖が見られるようになったのは2000年代に入ってからである。

キャッサバ

製塩は南東部の海岸地域の入り浜式塩田、他にカンポットの胡椒、ラタナキリのゴム、コンポンチャムやストゥントレインのキャッサバなどの熱帯農園(プランテーション)は2010年代から見られるようになりいずれも都市資本による経営であるが、主要産業にはなっていない。

・一般の農家の農具の種類は驚くほど少なく、江戸期以前の農業段階が多い。米も精米業の立ち遅れのため、一般の農家は籾のまま出荷している。自家米には足踏み式脱穀機を多く見かける。また、運搬にはアンコール時代から構造が変わらない古代インド式2頭牛の牽く牛車である。

・2015年年ほどから地方都市の店に農機具として耕運機が並ぶようになった。

・実際の農作業を米作りに見るに、同じ田での2期作をみることはほとんどない。

・季節による作付けが一般的である。早生稲:灌漑設備を持つ乾季作。「中稲・晩生稲・晩晩生

稲」の雨季作。浮稲等の作付けがある。雨季作:「田植え」は6-7月、稲刈りは「12-2月」。浮稲は直播と穂だけ刈る。

・1992-93年:雨季作70%、乾季作19%、浮稲7%。米はインディア品種米。日本の場合はジャポニカ米となる。日本料理店が使う日本米はベトナム産のコシヒカリが知られている。

・カンボジアは歴史的に地主制が発達せず、小農中心の国である。そして均分相続が原則のため、耕地所有は細分化してしまうため、子どもたちは荒れ地を開墾したり、遠く離れた地域の開拓民になる者も多い。また母系制が色濃く残っており、姓は変わらない入り婿婚が多く見られる。また、末子相続で両親を扶養する例も多い。したがって、耕地面積も働き手の耕作可能な範囲になり、一人当たりの面積は少ない。

・農村では夫婦間は経済的に平等である。村々にある市場の商人や万屋は華人の血が混じっており、一般に色白である。

・家族内で権威を持つのは稼ぐ人であって長幼ではない。村とは行政区であって、家族の付き合いとはかならずしも重ならない。重なる範囲は寺院を建立した者たちの子孫のまとまりで、血縁関係があり、一般に住居は血縁で近くに固まっている。行政区が同じ村でも付き合いがあるわけではない。それを或る日本人は「弱いから群れる」と評した。

・村に農作業の「協働」がほとんどない。近所の血縁の手伝いで足りなければ、田植えや稲刈りの時は賃作業で雇用する。祭りも寺院との関りでの祭りとなる。寺院が異なれば共に祭ることはない。つまり、村のまとまりは実は寺院毎のまとまりでしかない。

漁業 

内水面漁業か小規模の沿岸漁業である

トンレサップ湖の漁業

・2000~2010年 漁獲高:年間平均12~14万トン(取り分:網元6~7万トン、家族5万トンほど)

・増水による沿岸部の水没林に産卵(5~11月)、乾季にエリや網を仕掛け、成長した魚を取る。

 

 

 

 

 

学校帰りの子どもたち トンレサップ湖岸の杭上集落

・トンレサップ湖岸には半農半漁の集落が散在し、カンボジア人の場合は杭上家屋の集落をつくる(代表的な集落:コンポンプルック、コンポントラッチ、コンポンクレアンなど、杭上の床面は地上10mほど)。またポルポト政権崩壊後、ベトナム人がバサック川を遡り、コンポンチュナンやトンレサップ湖に進出し、水上集落をつくる。ベトナム人の場合は、筏上に家屋を設ける(代表:チョンクニ―、シェムリアップでのトンレサップ湖観光の乗降口、そこで見られる高床でない家は全てベトナム人の水上集落である。漁業を専門とし、一部淡水魚の養殖も行っている)。ベトナム人の水上集落(ほとんど不法入国)に見られる進出は1990年代からで地元クメール族との軋轢を生む原因となっている

トンレサップ湖水上集落 ここは筏上の家だからベトナム人集落

 

プノンペンのバサック川やメコン川

・漁業に従事する者はそのほとんどチャム族で、プノンペン周辺のバサック川やメコン川沿岸に集落あり、イスラム教寺院が目印となる。

・乾季になってバサック川沿岸で村中で魚を取る姿を見るが、クメール族にとってほんの一時期である。

バサック川 プノンペン。漁民の多くは川岸のチャム族。

海岸部 沿岸漁業

スダッチ島 この程度の漁船がカンボジアでは主流。

・漁業は家族単位の沿岸漁業がほとんどである。漁業そのものはクメール族からすれば、チャム人がするもの、と思っている者が多い。クメール族の漁民がいたとしてもチャム族から教えてもらったと言ってよい。

ケップからカンポット、シハヌークビル、さらにコ・コンまで海岸線に漁業を主体するチャム族の集落が散在する。

・カンボジア最大の海産物の水揚げ高を誇るスダッチ島だが、そこはタイから海伝いに移住した漁民が多い。家も平屋で高床式ではない。つまりチャム族タイ族の作った漁業集落であろう。

このようにカンボジアの主要民族であるクメール族は本来業業を専門とする者は極めて少なく、元来が農民なのである。漁民といってもそのほとんどはチャム族で漁業に従事するクメール族の多くは(トンレサップ湖の杭上家屋集落民を除き)水田のない農民や季節労働者である。

第二次・第三次産業を主体とする経済構造へ

上記のことから、カンボジア経済における産業構造は、先述の縫製業などの発展もあり、第一次産業から第二次産業および第三次産業を主体とする構造に移行しつつある。これは途上国がある程度経済が成長を持続しつあるとき不可避的に辿る道である。第二次産業の主体は裁縫、靴などの輸出用消費財生産の軽工業である。第3次産業は伝統的に華人が経営主体である。

カンボジア経済・社会の特徴

若年層人口が多い高度経済成長国

カンボジアという国は、1991年カンボジア和平協定までの約20年間内戦状態でした。1970年代のポル・ポト政権下における知識層に対する虐殺や、長年の内戦による戦禍により、当時の人口の約3割が殺害されてしまったという過去があり、人口ピラミッドの構造が他国と比較して歪な形であった。具体的には、国民の平均年齢は24.5歳と若年層の比率が非常に高く、14歳以下の国民が人口の3割以上を占めている。1998年に国連代表権を回復し、1999年にASEANに正式加盟することで国際社会へ復帰した。

マイナスからの出発、外国資本偏重、製造業は軽工業がほとんど

内戦後の労働生産人口が少ないという社会状況によって、国内産業の成長が著しく阻害されてきたという過去があり、2020年の現在にいたるまで、自国の経済活動を外資企業に依存せざるを得なかったという状況があります。

事実、カンボジアの工業の実態は華僑資本経営の工場が圧倒的でそれも軽工業に偏重している。また、年6-7%の超高度成長を遂げている国と喧伝する人もいますが、特殊な歴史的苦難を舐めた国で事実は、マイナスからの成長であった故に成長率が高いのある。そのような背景から、カンボジアの経済市場では外資企業の投資への規制がほとんど存在していない。これはカンボジアに投資する外資系企業にとって大きな利点となっているが、自前の工業化ができない原因ともなっている。

 通貨

また、国内マーケットにおいても、先述の内戦を経たことで自国通貨である「リエル」よりも国連が持ち込んだ「米ドル」への信頼が優先される傾向が続き、現在に至るまで、極度に米ドル化した経済市場となっているのが特徴です。

政府は昨年から躍起となってリエル使用を奨励しているが、ドルが基軸通貨であることに変わりわない。現にカンボジアに資本投下する外国企業はドルが基軸であることを進出メリットにあげている

日本企業の進出もここ10年で増えたが、製造業においては「タイ+1」か「ベトナム+1」という位置づけである。近年の強引な海洋進出や一帯一路による各地での軋轢もあって、欧米や日本、韓国などが中国から工場をベトナムに移す動きはあってもカンボジアに移す動きはないの実情である。
そのような歴史を辿ってきたカンボジア経済ですが、2004年から2007年には二桁増の実質GDP成長率を記録した来たが、2020年現在はコロナ禍で大きな打撃を受けている

カンボジア経済 輸出・輸入の状況

主要輸入品目は、石油製品(8.2%)、タバコ、オートバイ。主要輸出品目は衣類(77.8%)、天然ゴム、木材である。主要輸出先はアメリカ合衆国(36.8%)、シンガポール、タイ王国。主要輸入先はタイ(15.6%)、香港、シンガポールである。

The port is becoming increasingly import for the region, said the Japanese Foreign Minister on a visited to the Kingdom. Sihanoukville Autonomous Port

カンボジア製の衣類は日本にも2000年代以降多く輸出され始めている。たとえば、ユニクロを運営するファーストリテイリングの子会社であるジーユーが販売している一本990円という低価格のジーンズなどがカンボジア製である。人件費の安さなどを武器とし、経済成長の緒に就いている。近年、中国が経済進出し、カンボジア首相府のビル建築や南部シアヌークビルのインフラ整備にも多額の資金援助を行っている。また同地には日本の援助で作った経済特区もあるが、中国の特区のほうが工場の進出と言う点では成功している。

カンボジアの国際貿易は長きに渡って輸入が輸出を上回る状況にある。当然、貿易収支も赤字が続いており、それを、先述の観光収入や、海外からの直接投資、および援助などでまかなってきたというのがである。従ってカンボジアの物価は国産品について安いのであった、輸入品に頼る外国人向けの食品は割高である。

しかし近年は輸出が伸びていることもあって高成長が続いており、2015年度の貿易額は前年比14.2%増で、輸出入ともに増加傾向にある。だが、カンボジアの現政権が独裁下の道を辿るとEUは特恵関税を見直す動きがある。

中国マネー依存・中国化問題とは?

2020年10月12日、カンボジアは中国との自由貿易協定(FTA)に調印した。今回の調印を経て、2021年初めの発効を目指していた。 カンボジア政府によると、このFTA発効後は、中国向けの多くの農産物が免税処置の対象となるとのことです

空港利用客 圧倒的に中国人が多い。

この5月、初めてカンボジア産マンゴーが中国に向けて輸出された。 このカンボジアと中国のFTAの背景には、カンボジアにとっては、2020年8月から実行されたEUによる経済制裁であるEBAの影響の緩和があり、中国にとっては、東南アジアにおける経済的な影響力の拡大があるとされています。

2021年5月カンボジアよりマンゴー輸出

近年、カンボジアでの中国の存在感が大きくなっていることが各メディアで報道されていますが、事実、中国企業による縫製品の製造や輸出は増加しており、さらに「中国マネー」を背景とした不動産開発やインフラ建設が急増している。

133階ツインタワー完成模型 これも中国資本で中国企業の建設。プノンペン

カンボジアの中国化

中国資本による中国企業による中国人のためのリゾートホテル。シハヌークビル

カンボジアは、中国の広域経済構想である「一帯一路」にも深く関係しており、先述のように中国人観光客が牽引する国内観光産業の活性化など、いまやカンボジア経済は中国抜きには語れず、世界情勢において「カンボジアの中国化」も懸念されていることは周知の事実である。東南アジア各国は中国に対する警戒感はあるものの、中国の資金力は魅力的である。東南アジア唯一の親中国であるカンボジア、米中対立のなかで難しい舵取りが予想される。

日本企業のカンボジア進出のメリット、デメリット

就労人口の安定

若年層人口の増加を背景とする所得向上・経済成長が長期にわたり期待できること。就労人口が多いことは、今後の経済成長にとって大きな基礎力となる。

依然続く低賃金

賃金水準については、今後上昇していくことが予想されるが、依然として低水準であること。ちなみに2019年の縫製業の最低賃金は182米ドルであった。問題は安かろう悪かろうという労働者の生産性である。

外国投資法による優遇措置

カンボジアの外国直接投資(Foreign Direct Investment=FDI)に関する法制度は、その規制がほとんどなく、むしろ投資を奨励するようになっている。土地所有を除いて、内国法人とほぼ変わりなく扱われており、多くの分野で外資系企業が活動しやすい状況にあるが、公的な税金以外の賄賂が一般的である。

デメリット

インフラ問題

カンボジア国内のインフラ整備は、他の後発新興国と比較しても遅れています。その中でも電力インフラは弱い。電力需要はベトナム、ラオスから輸入で補うが、乾季の4月には首都でも停電が頻発する。

法制度の未整備、行政の非能率と腐敗

法律・精度の不備、汚職の蔓延問題なども、カンボジア進出における懸念事項である。

ただ、2008年に発効した日本カンボジア投資協定の一環として「官民合同会議」が開催されており、投資環境整備に関する改善が少しづつ改善に向かっている。

また、汚職の蔓延は国家の指導者層にも危機感があり、教育改革(試験制度の汚職)に続いて内務省改革(警察改革)の取り組みが始まった。

*基本的な資料はWikipediaの記述を参考にした。だが、そこに引用されている政府統計だが、その多くは水増し統計であるということをご考慮ください。

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