カンボジアのコロナ禍第3波:<2月20日市中感染事件>はこの1か月間で想定以上の感染爆発となった。
2月21日、フンセン首相は前日の市中感染発生の確認を受けてカンボジアのコロナ禍第3波を<2月20日市中感染事件>と名付けた。この時点での感染者数は32人(中国人20名、ベトナム人1名、他の国籍1名)カンボジアで初めての30人超の市中感染発生の確認であった。この時点では全て外国人であった。また、大規模クラスターの発生は全てプノンペン都、そして中国人コミュニテー感染であtった。また、第3波の感染源は2月8日夜のソカホテルの検疫隔離脱走の中国人男女4人であった。
それまでタイのバンコク隣接県の水産市場での大規模クラスターから感染拡大で、タイへのカンボジア人の出稼ぎ労働者の帰国に対策に注視していた最中、首都での感染爆発であった。それまでに2月15日の段階で入国検疫でイギリス型変異種を確認していた。シンガポール経由のインド人2人、韓国経由の中国人からの確認であった。
翌日21日には、累計感染者は100人を超え、プノンペン都とカンダル州での新規感染者の発見で、直ちに学校は休校措置が取られた。
2月23日にフンセン首相の緊急演説。カンボジアの地域住民に緊張感が走る。
2月24日 保健省作成の「感染ホットスポット・マップ」が報道される。この段階で47か所の感染発生場所が封鎖となる。
同日、感染は中国化著しいシハヌークビルの感染が飛び火
翌25日、感染者は圧倒的に中国人が占め、カンボジア人の感染は驚くほど少なかった。感染者のなかで初めて日本人1名の感染が確認された。
26日、さらに新規感染者の確認が続く。
この時期、感染者に対応するカンボジアの医療従事者や保健省職員の間に不満が鬱積する。それは、外国人(要は多数の中国人、ベトナム人)の非協力であった。27日、ここに新法の施行に至る厳罰化の流れが生まれた。
3月1日、シハヌークビルの感染者が急増。ロックダウンの言葉が飛び交うようになった。
次は「ドキュメント・想定外の感染爆発2」続く。