食品安全法 「売り手は嘲笑し、消費者は歓声」見出しで国内報道

ちょっと「どぎつい見だし」でKhmer Timesは、これから成立することが予定されている食品安全法について、7日(月)に報道した。その記事によれば、

消費者保護のために食品の安全に関する規定を定めた今回の法律は、食品販売側にショックを与えているという。

「法とは最小限の道徳」というが、法は法、運用とは別物である

法律は、食品に関係するすべてのものを規定し、非衛生的、期限切れ、標準以下、偽物の食品、さらには不適切な表示などの犯罪に対して金銭的な罰則を定めています。本質的に、法律は「食品は安全であり、人間の消費に適した品質でなければならない」ことを保証する目的である。ただし、多くの商売人(売り手側)は、法の既定ルールを守っていたら商売は成り立たないと言っている。

例えばシソワット高校近くのミートボール業者であるネム・ダリンさん(39歳)は、「健康食品は安くはない」と言って同法を非難した。「あなたは誰もが金持ちだと思いますか?あなたは誰もが良いことのためのお金を持っていると思いますか?」「法律に従えば、ミートボールのサービングに2ドルから3ドルを請求することになります。(その値段で売れる訳はないから)廃業するよ。」

「私らの売る食べ物が非衛生的だというなら、買わなきゃいい。私らは人々に無理に買わせているわけじゃない。屋台の食べ物が常に衛生的であるなんて不可能ですよ」と述べて、聞く者にとってはとんでもないと思うようなことを述べている。要は<安かろう悪かろう」>で成り立つ商売なのである。

私らのお客は主に学生や労働者たちです。あなたは彼らがおいしく安全な食べ物に支払らえるお金を持っていると思いますか?」「良質で健康的な食品には高いコストがかかります。私の顧客は金持ちではありません。金持ちはレストランで食事をしたり、出前を注文したりします。」

居直りのような発言に聴こえるが、それが現実のカンボジアの庶民の実態なのであろう。カンボジアによく見られる、表向きは国際水準を謳うが、運用は国内水準なのである。これは国内の国際観光地に見られる外国人との二重価格制からも解る。法はあっても片目つぶって運用しなけれ国が成り立つ水準ではないのであり、今回の食品安全法もこうあって欲しいというものに過ぎず、ないよりはいい、というもので、実際の庶民の生活水準はそこまで到っていない。一方で、幼少期から子どもの食の問題はかなり問題である。カンボジア庶民層では3度の食事は珍しく、多くは2食で、さらにすきっ腹の間食は売りてが述べているように禄なものではなく、安全遠い。事実、学校周辺の屋台で食事を済ませる児童・生徒・学生はしょちゅう腹痛・下痢を起こしているのが普通である。一部私立の学校は認可制で校内での食品販売の衛生・栄養面に気を使っているが、それとてコロナ禍で中止になったところが多い。

先進国では「法とは最小限の道徳」というのが常識ではあっても、法は法、運用とは別物であるというのが、カンボジアではあらゆるところに見られ、法は画餅であってそれを囲む道徳が追い付いていないのが現状であり、それは単なる生活水準の問題ではない。一方でそれを文化の違いなんていうのは無知からくる誤解であって、歴史的発達段階の不均衡な世界に過ぎない。

今回の食品安全法案は現在、シハモニ・シハヌーク王の制定の承認を待っている。同法律は農林水産省、保健省、産業科学技術革新省、商務省、観光省、商務省の6省の代表者で構成される委員会が起草するまでに7年を要したものである。食品に関連するあらゆるものを網羅している。

「法律は、食品中の有害物質の存在によって引き起こされる危険から人々の健康と生命を保護することを目的としています。」、「それはまた、詐欺的な情報源、品質、ブランディングまたは広告から人々を保護します。「法律は、最初の生産から消費者への販売または供給までの食物連鎖を対象としています」と、パンソラサック商務大臣は語っているが、それは画餅にすぎないことは、商売人たちの反発からも明らかで、立派な法律があっても、運用の面では現実に合わせていくというものになるだろう。法律作成案に時間がかかったように、その運用が法律通りになるにはかなりの時間がかかるだろう。ゴミの不法投棄、交通規則遵守の実態、法律があったとて圧倒的多数の人々が受け入れるのは、まだまだカンボジアの生活水準や国民性からいって何事もかなりの時間がかかるだろう、ということは法執行者の行政自身がよく知るところである。

掲載写真:イメージ 画像:Khmer Times

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