YouTuberであるForgottenTemplesカンボジア は、クメールルージュの独裁者ポルポトの伝説的な秘密の掩蔽壕を探していました。彼は多大な探索の労苦の後、それを見つけました、という。
動画撮影の本人は:「私は密集したジャングルに隠された山の頂上にあるポルポトの秘密のバンカーを訪れます。見つけるのは非常に困難でしたが、見つけたとき、私が想像していたよりも素晴らしいことがわかりました。それは、彼の狂った戦争の最後の日を隠し、口述した世界で最も邪悪な男たちがここにありました。」と述べている。
ポルポト派秘密基地?地下壕なら、戦略拠点の山岳や交通の要衝の森ならのいたるところにあった
ただ、歴史的な事実から言えば、1999年の段階でようやくポリポト派は彼らの言うプノンペン政権に降伏、吸収されたのである。92年の和平合意と立憲議会の選挙によって新生カンボジア王国が誕生したが、ポルポト派はこの和平合意に参加しておらず、UNTAUCが関与し日本のからも文民警察官や選挙管理要員が参加し、ポルポト派によって殺害される死者を出している。
さらに1998年までは、シェムリアップ郊外のアンコール遺跡群の観光は可能だが(遠出してもバンテアイスライ寺院までそれより北は限界で至近のクーレン山以北は実質ポルポト派の管理下にあり、外国人や普通のカンボジア人が簡単に入れるところではなかった。現にそうした状況を甘く見てバイクタクシーで入っていって、殺害された外国人観光客もいた。現在のプリアビヒア州、ウドンミアンチェイ州、バンテアイミアンチャイ州の北部、バッタバンのパイリン地域などは実質1998年までポルポト派支配地区かゲリラ出没地区であった。1999年、筆者は初めてクーレンさんに入ったが、後に人気観光地になるプレア。アントンや川底の千体リンガ、2段の滝のある地域に入る時、携帯自動小銃を方にかけた兵士に入場料を払った。それはポルポト派の初年兵である。ポルポト自身が隠れたタイ国境のダンレック山脈は難攻不落の基地が点在している政府軍幹部が言っていたように山岳部や密林があれば、秘密基地があり、当然地下壕がある。それも数多く。
この動画、今世間を騒がすYouTuberの動画と見なければ、歴史を誤る。地元メディアも真剣な取材ではなく面白い話題として取り上げている。ベトナムのクチ・トンネルのような一大秘密基地といった代物ではない。ポルポト政権崩壊後、それほどの能力も組織力もなかったはず。せいぜい、ゲリラの隠れ場所程度であったろう。