Khmer Timesが一部の学校が「荒れる学校」という実態を記事にした。
*以下、本記事ではKhmer Timesが英文で「ギャング」という表現を「悪ガキ」と翻訳表記しています。
学校内を悪ガキが横行し、校内を支配しているショッキングな実態が話題となっている。これらの学生の悪ガキ(非行少年)は、学校によって大きない力を持つじめっ子となっているという。
こうした悪ガキはしばしば些細で取るに足らないことをめぐって校内で争う。彼らはより臆病な同級生に恐怖を与え脅しつけるという。そして、これらの悪ガキは学生からお金をせびり取っているという。
クメールタイムズの調査によるとプノンペンのいくつかの学校で多くの生徒が、いじめられない場合でも殴打されることを恐れて学校に通っているという。教師は、いじめられた生徒の安全に懸念を抱き、悪ガキのグループ学生の手に負えない行動を制御するのに困難を抱えているという。
一部の学校では教員の権威が悪ガキの前に崩壊
Khmer Timesの記事によれば、
或る男子生徒Oum Cheatraさん(16歳)は、学校ではほぼ毎日、特に学校の1日が終わったとき(放課後の時間)に喧嘩があったと言う。
「これらの悪ガキは校内外で騒ぎを起こし、周囲のみんなを押しのけ、悪ガキ立ち向かう学生に対しグループを組み、時に教師に暴力的な反抗を行う。」
「悪ガキたちは、他の気の弱い学生にお金を要求する、そして気の弱い学生がお金を与えられないならば、その代償は暴行を受けることになる。悪ガキは5,000から10,000リエルを求める。」
「私たちはただの学生で、お金はあまりありません。幸運な私たちの中には5000リエルまたは7000リエルを持っている人もいるかもしれませんが、それだけのお金で学校に行くことができなくなります。」
「悪ガキがお金を要求し、あなた(記者)が信じないで本気に受け取らないなら、彼らはあなたを地面に倒し、あなたのお金をを探し出します。彼らがお金を見つけたら、彼らはあなたに暴行を加えます。(また)彼らがお金を見つけられなければ、彼らもあなたを殴るでしょう。」とOum Cheatraさん(16歳)はKhmer Timesの記者に具体的な事例をあげて答えている。そして「いつの日か私が被害者側になるのではないかと心配です」と彼は言った。
こうした悪ガキたちは、学校の裏門のすぐ外にあるクメールカフェでぶらぶらしてたむろしているいう。
別の学生:Heng Chivornさん(14歳)は、記者のインタビューに「この悪ガキたちは、誰も恐れていない」と述べた。
「彼ら(悪ガキ)は生徒を選び、他の人の前で生徒を脅し、暴行する。」
Chivornさんによると、悪ガキグループのメンバーの中にははナイフを所持し、それを使うという。
「私は先生が恐怖を感じているのを見ました。先生はそのギャンググループの2人のメンバーに学校内でバイク・レースをしないように叱責した、そして先生が放課後正門に歩いたとき、悪ガキギャングの7人のメンバーが先生を待ち伏せし、彼らは先生に駆け寄り、先生の頭を鞄で覆い、殴り始めました。私たち学生は何もできませんでした。私たちはただ立って、言葉を失って見ていただけした。」「それが私たちが先生に見た最後のことでした」と彼女は述べた。
教員であるプロム・チャニー先生は「教師が悪ガキの学生たちやいじめっ子に対処するのに苦労している」と言う。
「悪ガキ学生は悪質です。彼らは教師を尊重せず、あえて教師を殴ります。この悪ガキたちは、対象生徒を選ぶことでも知られている。そのため、多くの親が子供を別の学校に登録を移す」と彼女(教員)は言いう。
学校の副校長:Phouk Davy氏は「学校の裏門は封鎖されており、悪ガキのメンバーは、クラスに入る前に所持品をチェックされている」、「現在、生徒が学校入る前に、すべてのバッグをチェックしている」と述べた。
文部省・報道官:Ros Soveacha氏は昨5月1日、「全国の公立および私立の教育機関の管理者が学生の安全と安全対策を実施しなければならない」と述べ、「私たちはセキュリティを強化し、地方自治体やすべての利害関係者と緊密に協力します」と付け加えた。
カンボジアの学校制度は、6・3・34年生であるがフランス統治時代から1990年代後半までフランス式で、そのため中学校と高校が同じ敷地内にある。また、現在も進級、卒業も試験制度の合否によることを原則としている。フランスの教育制度ではリセ(中等教育)と呼ばれる中高一貫学校であるが、カンボジアでは制度上分離されている。小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年の終わりに卒業・進級試験が国家試験として行われる。
一部とは言え、「荒れる学校、非行少年の暴力支配」が報道は初めて
「荒れる学校、非行少年の暴力支配」をカンボジアの大手メディアが記事として取り上げられたのは初めてではないか。と思われる。Khner Timesがこうした記事を掲載するには、当然教育省も問題だと認識している。
カンボジア人のfacebookには時々路上での非行少年グループ間の暴力的諍いの動画が、ここ数年いくつもアップされてはいるが、政府広報の役目を担っているKhmer Timesが「荒れる学校」を取り上げた背景にはより深刻な状況になっている学校実態があるのであろう。保護者からの苦情も寄せられ、無視できない社会問題となってきたと思われる。
かつてカンボジアの学校と言えば、学校に通う児童・生徒・学生にとってもっとも大きな問題は「盗難被害」であった。現に2000年代の有名私立学校や国立大学でも警察官が教室にやって来て学生を泥棒の罪で連行するというのが当たり前のように見られた。
2000年代は公立よりも私立学校の横暴な金持ちの子どもが問題
2000年代の初め、カンボジアでは住民や公私立の教員から「日本の学校は大変ですね。日本の学校には虐めがありますが、カンボジアの学校にはありません」と何度も言われたものである。
これはカンボジアでのメディアの取り上げ方やカンボジアを訪れた日本人から聞く「日本の学校も大変なのよ。虐めがあって。カンボジアにはないでしょう。」といった自虐ネタが原因であろう。当時は識字率が低く、学校数も少なく、学校あっても先生が勤務に出てこないで実質休業中の学校が多くあった。
日本で「荒れる学校」問題は報道されるようになったのは1970年代末、ちょうど高度成長期が終わり成熟の時代に入る頃であった。カンボジアもある程度貨幣経済が浸透し、農村にもテレビが普及し、保護者達は子どもたちに学校へ行くように促すようになってきた時代の背景がある。特の都市部では初めは、富裕層の集まる私立学校の一部から荒れる学校が出てきた。これは特権層の子どもたちの悪ガキで、お金はあっても文化は買えないように躾が行き届かない、子守を田舎出自の女の子に家事と共に世話を任せる家庭が富裕層ほど多い。そうした環境で育ったドラ息子やドラ娘たちが起こす問題であった。
2010年代は教員の質の悪さと汚れた学校問題
2010年頃までには子どもの保護者層では「お金持ちの横暴」は有名であり、反感を集めていた。問題は公立よりも私立学校に多かった。富裕層の子が通う私立学校では荒れてくると教育意識の親たちの苦情がっ殺到し、学校が経営基盤が揺らぐから、いち早く対応せざるを得なくなる。そこで最近では私立学校の大半は、プノンペンなどでは落ち着いている。一方、2010年代になると明らかに公立学校が荒れてきた。プノンペンでの公立学校の中学・高校過程の生徒や学生の下校時を見れば、荒れる姿の一端が見える。敢えて騒音撒き散らしの暴走や危険運転の学生グループを学校周辺でしばしば見かける。おそらく教員の制止は無視されているのであろう。警官もよほどひどくない限り見て見ぬ振りである。こうしたグループが学校内でどうなるかは予想できる。ましてや2010年代の公立学校に対する保護者の信頼は著しく低かった。教員の欠勤は当たり前、試験のカンニング横行、進級は先生から校長までお金次第という認識であった。要は公立学校といえば、「教員の質が低いお金に汚れた学校」問題であった。公立学校ほど酷かった。
当時、カンボジアの庶民でも教育意識の高い人の多くはこう言っていた。「お金があれば、公立学校には行かしたくありません。ましてNGOの学校なんて公立以下です。外国人がお金を出しても子どもの教育は雇ったカンボジア人任せで、多くの外国人NGOは教育に関して素人です」と。
2010年代後半「汚れた学校の拝金主義」に対し教育省は本腰で教育改革
カンボジア政府も初等、中等教育が深刻な危機にあることは認識していた。「汚れた学校とは、お金さえ出せばどうにかなるという学校」である。また教員の欠勤率の高さである。欠勤中に副業にいそしむのである。そこで2010年代後半からカンボジア政府は教育省に実行力のある大物の大臣を任命し「教育改革」に取り組ませた。そのためには汚れの原因である卒業・入学資格試験、特に高校から大学への関門である試験の厳格化と教員給与の引き上げに的を絞って取り組んだ。
試験に関しては教育省大臣が連日のようにテレビに登場し、「カンニング横行は国を亡ぼす、厳格な試験こそ教育の基本である」と訴え、事実厳格な試験を実施した。そのため前年の高校卒業・大学入学資格試験の合格率は前年92%から25%に下がった。そして国が要求する学力通りに達せず不合格となった者には1か月後に再試験を行い、ある程度救済措置を取った。それでも不合格なものが何割かいた。これがカンボジアの教育実態の一つである。
今度は「荒れた学校」問題、校内暴力の横行
そしてここ数年は「荒れる学校」問題が浮上してきた。コロナ禍のせいにする人もいるが、それは当たらない。都市部の私立学校の大半は荒れていないのだから。私立学校なら学校の評判もあって問題のある生徒、学生は退学処分になるし、落第する。だが拝金主義の一部私立学校や教員身分が安定している公立学校の一部には「荒れる学校」が深刻さを増す。
先進国の経験を途上国が後追いする
高度成長期を過ぎると学校現場が荒れてくるのは各国それぞれが通る道である。60年代米国の「暴力教室」、80-90年代の日本の「校内暴力」、そして2000年代は一見穏やかだが「無気力な学校」が日本では問題となり、いじめ問題は陰湿で陰に隠れて一向に減らず、不登校は増加し、脱学校や引き籠りが問題となり、2010年代にはその延長としての脱社会が「50・80年問題」となっている。
カンボジアでは「荒れる学校」問題はプノンペン都の一部の学校からやがて他に拡大し、地域的にも全国化するのは日本の例を見ても予想できる。
Khmer Timesが「荒れる学校」問題を記事にした意義は大きい。教育の普及と向上が一方で青少年の非行問題を避けて通れないことは、先進国が経験している。悪ガキの学校での問題は社会問題化するのは、ここ数年の青少年グループのオートバイ暴走・危険走行としてプノンペンでは顕在化していることからも解る。
これを少年非行と見れば、子どもは社会の鏡である。大人に横行する拝金主義と家庭の空洞化、つまり家庭の収入は増えても両親がきちんとした躾ができない現象である。都市部に蔓延する拝金主義と特に農村から都市への大量流入に伴う村落共同体や家庭の空洞化が農村部でも少年非行を助長していることは間違いない。カンボジアではそこに更なる薬物使用の蔓延問題が拍車をかけており、特に若年層の薬物汚染はかなり深刻である。
やがていやが上にも政府は本腰で青少年問題の取り組まなければならない事態がやって来るだろう。Khmer Timesの記事はその警鐘である。
掲載写真:悪ガキの横暴 画像:Khmer Times