カンボジア政府・文化省は1月29日、美術商のダグラス・ラッチフォードの家族が、所有しているすべての古代カンボジアの美術品をカンボジアに返還することに同意した、と発表した。
返還される古代クメール美術品は100以上
昨年8月に亡くなったカンボジアの古代工芸品の収集と保存で知られるアートディーラーであるダグラスラッチフォードの家族は、3年間の交渉の末、石、青銅、その他の媒体で100以上のクメール文化財をカンボジアに返還することを決定した。このニュース、文化芸術省からの1月29日付けのプレスリリースで地元メディアが大きく伝えている。美術品の遺物を引き渡すという決定は、2020年9月18日に交渉担当者とラッチフォードの家族が合意に署名した
2019年、米国の裁判所は、クメールの古美術品の第一人者であるラッチフォードを、略奪されたカンボジアの遺物を密輸し、偽造された文書で隠して国際美術市場での販売を支援したとして起訴しました。これら非合法な手立てで手にした石や青銅で作られた100体以上の彫像や他の多くのカンボジアの文化財が返還されます。
Phoeung Sackona文化大臣は、「これらの彫像の本国送還は、失われたカンボジアの遺物を取り戻すという(政府の)関わりを示しており、この本国送還はカンボジア国民にとって歴史的な出来事です。」と述べている。
カンボジア人が盗掘し、タイ人が運び、欧米人が手にする
が、ここで注意しておかなければいけないのは、既にアンリ・ムオのアンコールワットやバイヨン発見と紹介の19世紀半ば以来、多くの冒険家や植民地化以来フランスの当局も混じって、クメール遺物の盗掘に手を貸したという事実である、フランス極東学院の手によっても多くの古代クメール美術品が持ち出されたことは、フランスのギメ博物館を見れば解る。
一方でそれは現地のカンボジア人自身が遺跡の価値そのものが解らず、わずかなお金で雇われれば喜んで協力したという事実がある。こうしたフランス当局の支援した極東学院によってアンコール期の研究を中心にカンボジアの歴史が明らかになって来たのもれっきとした事実である。悲しいかな、衰退期の歴史をもった国や民族とはそういうものであった。
多くの古代遺跡が内戦後1990年代に荒廃した
さらにここ30年、「遺跡荒らしの盗掘はカンボジア人が行い、タイ人が運び、欧米富裕層の収集家が取得」と言う形がカンボジアの歴史上最も広範に行われたことだ。その運び屋に国軍の戦車まで使われたと、バンテアイ・チュマール寺院遺跡の付近の住人や或る日、タイ軍のヘリコプターが降り立ったとコ・ケー遺跡の住民たちは証言する。その一方、遺跡の価値を守り、その保護を訴えたのも欧米人であり、プノンペン国立博物館裏の美術大学はフランス人によって遺物の保存や工芸技術の継承のために造られた学校を源とする。文化省のプレスリリースには、ついこの間のことであるこうしたこに全く触れていない。当然、地元メディアもその受け流しのニュースである。歴史から学ぶということは、不都合な真実からも学ぶことである。
*掲載写真:返還が決まった古代クメールの美術品 画像:Phnom Penh Post