次は、トゥールトンポンのCarl's Jr Bagger店の従業員感染 

4日夜 プノンペン都・トゥールトンポン区のCarl's Bagger店の従業員が新型コロナ感染者と確認された。

事件絡みの累計感染者30人となる、新規感染者はペドロ店従業員と同居

保健省によると、「11月28日の市中感染事件」関連で上記の従業員の感染確認で事件関連の累計感染者は30人を数えた。新規感染者:Sao Leang(21歳)は、スティエン・ミーンチェイ地区に住んでおり、都内のトゥール・トンポン Tuol Tompong区に立地するCarl's Jr Burger店の従業員である。同新規感染者:Sao Leang(21歳)は、Pedro衣料品店の従業員であるNhel Sok Kola(22歳)と同居していた。既にPedro衣料品店の従業員:Sok Kolaは、12月3日に感染が確認されている。所謂:同居人感染である。

   カンボジア 「貧しいものは助け合う」  

  都市部でも2世帯、3世帯家族、そして他人でも同居シェアが多い

カンボジアの都市部、特にプノンペン都は同心円状に所得差で居住地が拡がる。所得が低い者ほど中心部が拡がる。かつてイオンモール1号店が立地するにあたり、調査するに年間所得10万㌦以上の住む者が、周囲4㌔以上に占める割合いが非常に高いという結果であた。率直に言ってプノンペンに住む日本人なら、「嘘!」と言った割合の高さである。が、これには理由がある。政府統計のプノンペンの人口数自体が実態からかけ離れている。小・中学校の社会科地図帳の巻末の各国統計表があるが、途上国ほど実態とは違う。イオンモールの調査は、あくまでプノンペン都に住居戸籍(都市戸籍)がある者である。実際の人口は、地図帳の表の人口の数倍になる。調査数に入らない人が圧倒的多数なのが実際に住んでいる人たちである。地図帳の表に乗る人口は、あくまで持ち家の都市戸籍を持つ人たちである。田舎戸籍の人たちは人口数に入らない。実は田舎戸籍の人たちは都市戸籍の数倍で、所謂「出稼ぎ労働者」である。この人たちは、プノンペン都外郭だけでなく中心部にわんさか住んでいる。富裕層が集中するボン・ケン・コン1区もプサートマイ(中央市場)からシハヌーク通りの間の地域、大通りから路地に入れば、夕方、どこにいたの?と思うほど人々が溢れている。そのほとんど田舎から出ていた人々である。彼等は蚕棚のような部屋住むか、古アパートの部屋に住む。中国系銀行の従業員なぞは、プノンペンの中間層以上の出自だが、小売店従業員となると多くは田舎が出自である。

自我の弱いカンボジア人に独居はありえない

富裕層の一部以外、核家族や独居で暮すなんていうことは、カンボジア人一般には考えられない。事実、「身近な家族以外は信用しない」カンボジア人、ある種の他人と同居するのは、一つは家賃を浮かすため、それも同じ村から近所出自の者たちとの同居シェアである。要は「貧しい者ほど助け合う」のである。多くのカンボジア人は、身近な家族以外を信用していない、学校教育が不完全だから、多くの青少年は自我が弱い。事実、カンボジアでは反抗期が18歳前後がほとんどである。自我が弱いから「独居」なんて大人になっても寂しくてできない

庶民には庶民の持つモラルの高い世界がある

泥棒の多いプノンペンであるが、富裕層の子弟だって悪(ワル)がたくさんいる。市内中心部には夫が若い愛人宅にいて帰って来ない富裕層の妻たちが夜な夜な集まり、深夜まで踊り狂うナイトクラブがいくつかある。富裕層の寂しい妻たちは、ガードマン付きの車でクラブに乗り付けている。また、富裕層の子弟を集めるインターナショナルを名乗る高額私立学校だって、今年1月に14歳どうしの喧嘩で暴行傷害致死事件を起こしている。貧しいものから泥棒がでる、それは確かであるが、実は貧しい者たちほど身近な人と「助け合って生きている」姿のほうがずっと多い。まさに江戸時代の下層庶民の暮らしを思い浮かべたほうがいい。

庶民独自のモラルの高い世界は、日本ではバブル期以降、消滅した

山本周五郎作の庶民ものに描かれる世界である。60,70年代の日曜劇場やNHKの時代劇なぞ、名作は山本周五郎原作が多い。そこには「庶民には庶民のモラルの高さ」があった。90年代の日本で山本周五郎が忘れられ、藤沢周平がテレビ、映画界でもてはやされになった、彼の海坂(うなさか)藩の物語は要はサラリーマンのお家の事情に弄ばれ、そこでも志や意地を通すというモチーフが軸となっている。90年初のバブル崩壊で「庶民には庶民のモラルの世界があった」というものは消滅した。

「11月28日市中感染事件」 富裕層ほど怖がっている

在カンボジア日本人たちの人たちのなかで、カンボジアは「気が楽だ」「セコセコしない」「このいい加減さ」「のんびり感がいい」という人たちがいる。実はそれは「貧しい者ほど助け合う世界」に触れているからではないでしょうか。感染症は人を選ばない、20代~40代の新型コロナ感染者の1割に後遺症が残る、それ以上の年齢では極端に減る(日本の調査)というように医療水準格差で死ぬ者が多くとも、病気はけっこう公平である。貧しい者ほど助け合う社会のほうが、死亡率に関わらず病気の時は幸せである、と筆者は思う。「11月28日の市中感染事件」、クラスターの発生場所は家族内、職場内以外はどこも中・富裕層たちしか出入りしていない。富裕層ほど、怖がっている。

画像:Phnom Penh Post

 

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