政府は、省庁、機関、関係する利害関係者とともに、1月7日の戦勝記念日46周年を祝う大規模な集会を実施する予定である。クメール・ルージュ(ポル・ポト派)政権からのカンボジアの解放を記念するこのイベントは、コ・ピッチ・コンベンション(ピッチ島)&エキシビションセンターで開催され、2万人を超える人々が参加すると予想される。
プノンペン都クオン・スレン知事は、祝賀行事の期間中、安全と秩序を確保することの重要性を強調した。14地区長との会合で、同知事は、「行事が円滑かつ成功裏に行われるよう、綿密な準備が進められている」と述べ、
「戦勝記念日は国民の祝典です。この行事に参加するすべての関係者は規律を守り、安全の守護者として行動しなければなりません。我が国は完全な平和を享受していますが、秩序と安全を維持するために警戒を怠ってはなりません」と付け加えた。
また、スレン氏は人々に、自宅前に国旗を掲げて祝賀行事に参加し、周囲の清潔さを保つよう呼びかけた。スレン氏は、国家行事の期間中、安全と衛生を確保するために尽力した地区当局、関連部局、治安部隊の努力を称賛した。
カンボジア人民党(CPP)・報道官:ソク・エイサン氏は、戦勝記念日が国家の歴史における重要な瞬間であることを強調した。同氏は、CPPがカンボジアを大量虐殺を行ったクメール・ルージュ政権から解放し、平和を回復し、基本的自由を取り戻す上で重要な役割を果たしたと指摘した。
「この日は、我が国の回復力と、国を再建するために払われた犠牲を思い出させる日です。また、1991年10月23日のパリ和平協定を通じて国民を団結させ、完全な平和を達成しようとしたCPPの努力を強調するものでもあります」とエイサン氏は述べた。
この日は、プノンペンにベトナム軍と反ポルポト派(後にその多くリーダーが現政府・軍の指導部になる)クメールルージュによってポルポト派政権幹部が西野タイ国境へ逃亡し、同行した当時の中国大使はプノンペンっを裸足で脱出したという中国にとって屈辱の外交の日でもあった。
掲載写真:プノンペン都庁の提供