プノンペンを含む全国各地で洪水が発生、行方不明者1名 死者2名

プノンペン 各所で洪水、j住民は下水溝の不備を訴える

雨季に入り、連日の熱帯驟雨(スコール)で各地の河川や貯水池は飽和状態のようである。

昨日のの驟雨は長引き、大雨の間、道路や敷地内に溜まる水を何時間も長引かせた。とりわけ国道2号線沿いに住む人々はあふれ出る水に苦闘し、不平も多く聞かれたという。住民は、これまで地方自治体に排水路を広げるように何度か要求したが無駄だったという。

同国道に住むNou Bunkinさん(83歳)は、Chak Angre Krom自治区に40年間住んでおり、国道2号線(NR2)から過去5年間で水があふれだし、道路だけでなく周辺の家屋にも混乱を引き起こしたという。「排水管は私の家から雨水が流れるのに十分な大きさではないと思う」と苦情を述べている。そして「地方自治体は時々住居の数に応じて排水システムを拡大すべきである」と付け加えた。

また、住民である元政府関係者のキエフ・サールさんは、「いつも家や道路で洪水が発生する雨が怖い」と述べた。「当局は、道路と排水システムから汚れを取り除くために、ほぼ毎日道路をきれいにするために一生懸命働いている。これは本当にありがたいことです。しかし、彼らは道路の汚れを排水システムに洗い流し、排水の流れを妨げていると思います」と彼は付け加えました。

また、Chak AngreKrom自治区長:CheaSokhayは昨日、「洪水が住民に迷惑をかけていることを認め、当局は公道2号線の清掃に毎日懸命に取り組んでおり、ポンプ機を使用して排水システムの汚れをほぼ毎日清掃している。」と述べた。

住民からすれば、下水設備の能力不足を訴え、自治体関係者は下水道政争の努力を強調しているが、依然根本的な解決に至っていないのは、雨季に入り、驟雨の度にプノンペン都内では各地で水が道路に溢れ通行を困難にしているが、多くは驟雨がさればわずかな時間で水が引く経験が、解決を長引かせる要因でもある。要は「洪水と言っても一時的である」といった経験値である。日本のように死者を多く出す、壊滅的な洪水はカンボジアでは少ない。日本ではどうにかしないと生死に関わるが、カンボジアの場合は運不運で死者もでるが、極めて少ない。だから、被害も苦情も一時的で、たいしことはないと解決を引き延ばしにしているのは、自治体と住民双方である。それでも解決への取り組みは日本の支援もあって、少しづつ改善している。

上記の国道2号線の自治区長は「下水道を懸命に日々清掃している」というが、それは国道だからであって、プノンペン都内のほとんどは下水溝清掃のすがたなぞ、見たこともないというのが実態である。都心部でさえ、一時的に通行不能になる洪水する場所が数多くある。試みに通行不能になるところを地図で青く塗って見れば、蛇行する線となる。要は、ほとんどが旧河川の跡である。プノンペンは、ワットプノンのある小丘を除いて、高くとも海抜5~6mで、海抜0mに近いところが大きく拡がっている。そこはかつての湿地帯である。大陸の大河は流域の大部分を緩やかに流れ、長い。日本の河川は急で短いというのが、自然地理学のイロハであるようにプノンペン都のある地域はトンレサップーバサック川とメコン川の合流点に位置する洪水氾濫地帯である。プノンペンの南北に貫く主要道路はかつての自然堤防上、トンレサップもメコンも蛇行を繰り返してきたから自然堤防の連続も切れぎれにいくつも伸びている。そこが自然に道路になったに過ぎない。道路以外は地理学で言う河川の氾濫原、そこにプノンペンの街が生まれた。

東西の道路は歴史的にかなり新しい。現在プノンペン旧市街地は南~西はスティエンミアンチャイ地区を河川まで、北は現在に中央駅北西部の湖の埋め立て地北のトゥールルコック区を日本橋まで結ぶ道路まである。旧市街の碁盤目状の道路の整備は、フランス統治下の1930年以降である。20年前まで旧市街地の周辺は湿地帯で道路沿いに屋敷森の農家の集落がちらほらという景観であった。都心部からポチェトン空港までが市街地となったのは、2010年代である。

雨季の年中行事となっているプノンペン市街地の洪水だが、それでも徐々に改善されている。隣国タイの首都バンコクでさえ、2000年頃まではスクンビットの通りは熱帯驟雨があれば、水が溢れ大渋滞が発生していた。日本の急激な都市部の改造と変化は60年、70年、80年代、その速さと勢いをカンボジアに期待することに無理がある。中国資本による投資運用の高層マンションが立ち並んでも、インフラは東京の1950年代レベルであるのがプノンペンである。

① 下水道施設の整備

② 下水道能力の維持・管理

③ 住民のモラル向上

上記の3つが揃わないとプノンペン都の雨季の年中行事は終わらない。以上の3項目だが2番目、3番目が、最も難しい。外国援助に頼れないし、カンボジア人の最も苦手とするところであるから。日本は①を受け持っているが、②、③まで手出しはしない。そこまでやったら、おんぶにだっこである。そうなるともはやカンボジアは植民地になったほうがマシである。中国に期待すれば、中国の属国になることは間違いない。②、③はカンボジア人自らの克服すべき課題である。

コンポンチュナン州17日 行楽客が滝からあふれ出た水に巻き込まれる

6人の行楽客が、滝付近で1時間以上洪水に見舞われ、樹上で過ごし、幸いにも助かったという。

7月17日午後、コンポンチュナン州トゥクフォス地区チープ自治区にあるスマークラル・ウォーターフォール・ナチュラルリゾートで洪水が発生した、訪れている行楽客は樹上に閉じ込められた。

同州観光局・SengSaly局長は、観光客は1時間以上閉じ込められた後、Thmar Kral Waterfall自治区の救助隊によって助毛出された、と述べた。コンポンチュナン州観光局は、2つの滝を訪れる人々に、危険を避けるために細心の注意を払い、自治委員会の助言に耳を傾けるよう呼びかけているた。

コンポンチュナン州18日 男が洪水に飲み込まれ貯水池へ 行方不明

家族はどうしようもなく立ちすくみ、貯水池に流された男性の遺体が現れるのを待っている。

同事故は、7月18日の夜、コンポンチュナン市フザーチュナン自治区カンダル村で起こった。

男は網に足を絡ませ貯水池に落ち、強い濁流が彼を巻き込んだという。現場の地元警察と当局は、事件後、2時間捜索を行ったが、男性は見つからなかったという。また、地域の住民たちも捜索を行った。

夜の暗闇と強い流れのために、同日の午後11時に捜索を呼びかけたが、今朝の時点で、遺体はまだ発見されていないという。

シェムリアップ 兄弟が貯水池で溺死

2人の兄弟は、池に遊びに行った後、溺死した状態で見つかった。

7月18日の午後、シェムリアップ州Svay Leu地区Svay Leu自治区Angkanh村で起った。

Svay Leu地区警察は、2人溺死者は6歳のProsVuttyと4歳のProsVannethであると報告している。どちらもスベイロイ地区ボウンメリア自治区トゥクレッチ村出身。

二人の少年の祖父ヨン・ユウは、二人の少年が彼を訪ねてきたと言った。二人の少年は家を出て池に遊びに行った。祖母と祖父は遊びに行くのを止めたが、幼い兄弟は彼らの声を聞かずでかけたという。その後、祖父は池を捜したところ、2人の溺死した遺体を見つけた。

池は折からの降雨で水かさが増えていた。

掲載写真:プノンペン都内、18日の国道2号線沿いの洪水 画像:Khmer Timesより

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