カンボジアとその首都プノンペンに都市の景観に象徴的な建造物をもたらしたル・バン・ハップ氏が6月26日、フランスで92歳で生涯を終えた。
クメール・ジャーニー研究所・所長:ヴィラク・ヴァラニー氏は26日、カンボジア近代建築の父;ル・バン・ハプ氏の訃報を姪のメアス・マンダ氏から受け取ったと述べた。
また国土管理省:ライ・ラスミー国務長官は、フランスでバン・ハップ氏が亡くなった知らせを受けて遺憾の意を表明した。同国務長官は「これは国家にとって大きな損失だ。彼は次世代に偉大な建築作品を残しました。」同氏は、「彼の悲しい死の後、カンボジアの建築家は彼の作品についてもっと学ぶことになると思う」と述べた。
同長官は、バン・ハップ氏は1931年にコンポンチャム州で生まれ、独立後のカンボジアのシハヌーク国王統治時代のもう一人の近代建築の父:ヴァン・モリヴァン氏共に、二人とフランスで建築を学び、カンボジアの近代都市の景観に多大な影響を与え、共に国王から称号を得たと付け加えた。
カンボジアは独立後、ノロドム・シハヌーク王子の指導の下、「サンクム・リアトル・ニユム時代」という平和な新時代を迎えた。その後、カンボジアは60年代末から内戦時代に突入、ポル・ポト時代、再び内戦を経て、1991年のパリ協定で和平を迎えた。バン・ハップ氏がフランスに逃れ、からくも内戦時代を生き抜いたことは、幸せな生涯であったといえるだろう。
バン・ハップ氏の建築設計デザインは、カンボジアナ ホテル、チャムカル モン宮殿、カンタ ボパ宮殿、カンダル州庁舎、チェンラ劇場、ホワイト ビルディング、トゥール スバイ プレイ高校、バッタンバン スポーツ センター、コンポン チャムの王立大学ビル、キリロム山の王室別荘(現在は土台のみ)などが残されている。
同長官は、ノロドム・シアヌーク王子がプノンペン市庁舎(現・旧市庁舎)の住宅・設計局を設立する建築家を任命する王令を出し、テップ・ファン知事は1960年に都市の近代化と開発に対する完全な自由を与えたと付け加えた。「彼(バン・ハップ氏)は12人のスタッフとともに、国を都市化するために設計から廃棄物管理まであらゆることを管理しました。国の中心であった旧プノンペン都は彼の下で大きく変わった。」とも述べている。
なお、もう一人の近代建築の父:ヴァン・モリヴァン氏の代表作品はプノンペンのランドマークである独立記念塔がある。
掲載画像:Khmer Times