フンセン首相は「カンボジアとベトナムの国境境界は90パーセント完了する」と述べた。
同首相は、5月11日の夜(ワシントンDC時間)にワシントンDCで、米国とカナダに住む2,000人以上のカンボジア人との会合で、ASEAN-米国特別サミットに臨むにあったてスピーチし、カンボジア/ベトナム両国は国境境界の約84%以上を達成し、最近2つの国境委員会が残りの16%の土地境界の6%について交渉した。
この問題に関して、首相は「(野党が)カンボジアの領土をベトナムに売却したとして彼を非難した人もいる」と述べたが、事実は「国と土地を保護するためにあらゆる努力を払った。」と述べた。
同日、ベトナムのファム・ミン・チン首相との二国間会談で、両首脳は、両国の国境委員会に、6%の土地境界に関する交渉をまもなく完了するよう促すことに合意したという。会談後の記者団に対し、フン・セン首相は、今年11月のASEAN首脳会議の前に、「ベトナム首相に6%の国境文書に署名するためにカンボジアを訪問するよう要請した」ことを付け加えた。
カンボジアはベトナムと1,270キロメートルの国境を共有しており、両国は2006年以来、共通の国境境界に積極的に取り組んでいます。
ベトナムとの国境交渉完了間近かは、現政権の功績
野党系はカンボジア人に残る反ベトナム意識を反政府感情に利用・扇動
長く続いたカンボジアとベトナムの国境線画定の交渉であるが、カンボジア政府は忍耐努力を続けたいうべきであろう。ポルポト政権時代にはカンボジア国民の反ベトナム感情を扇動し、一方的な国境拡大を狙って国境沿いのベトナムの集落に攻め込み、焼き討ちや住民虐殺を繰り返した。だが、その焼き討ちや住民虐殺の被害を受けた村や人々の多くはカンプチア・クロム(カンボジア系ベトナム人)であった。歴史の都合の良い部分の切取りや改竄によって平然と同胞を殺すのが、ウルトラ民族主義の常套手段である。共産主義を唱えながら一皮剥けばウルトラ民族主義で、国内では独裁的な全体主義の強圧という姿である、これは今でも世界各地で起こっている。
1992年の国際的な枠組みのなかでのカンボジア和平であったが、97年のフンセン派のクーデター以後、現在まで人民党政権が続き、97年以降から反人民党の諸派が唱えた反政府批判にはフンセン政権のベトナム寄りを批判していた。これは、歴史的にカンボジア人に残る劣情的な反ベトナム意識を扇動であった。だが、今回の長年にわたる国境線交渉は、野党の批判にも関わらず、フンセン政権の功績と言える。いかなる事情があろうとも、反人民党派は1997年以来、一度も政権に付けていない。97年まで第1党であったフンシンペック党(王党派)の凋落は激しく、政権党時代から人民党に増して腐敗体質であった。そしてフンシンペック党のリーダーの統率力無さ、長い内紛が拍車をかけた。この30年間、ポルポト政権以来の懸案であったベトナム国境が一応画定に近づいたのは、現政権の功績である。残りはタイ、ラオスであるが、タイとの国境線問題は軍部を後ろ盾にする反タクシン派が敢えて国境問題を蒸し返し、扇動したが、軍事クーデターにより軍部政権が成立し、現在もなお延命しているが故にタイとの間では国境問題は下火となっている。ラオスとの国境問題もあるが、これは中国がラオスを裏から扇動しない限り、起こりそうもない。ベトナムとの国境交渉が終了すれば、自ずと終わる問題である。