カンボジアの100万人以上の人々が、地雷や不発弾(ERW)で汚染された地域や付近で生活している。
カンボジアの地雷対策及び被害者支援局の初代副局長:Ly Thuch上級相は、「地雷とERW(不発弾)は依然として人々を殺害、負傷させ、心理的傷痕を与え続けており、社会的および経済的回復と持続可能な開発を著しく妨げている」と述べた。
1979年以来、東南アジアの国々の地雷と不発弾が65,000人近くの人々を殺害し負傷させており、特にカンボジアでは深刻で、新たにミャンマーの内戦のため地雷の脅威が高まっている。
カンボジアは、1998年に終わった30年間の戦争と内部紛争から、推定400万から600万の地雷や他の軍需品が残され、依然として人々の生活に脅威を与えている。
イェール大学による研究によれば、1965年から1973年の間に、米国はカンボジアの113,716か所に約230,516発の爆弾を投下した。その死傷者は80万人以上といわれている。
フン・セン首相は、「フン・セン:カンボジアの旅の10年、1979-1989」というタイトルの本の中で、米国のカンボジア爆撃は「この宣戦布告なき戦争のために数万人の民間人死傷者」を引き起こしたと書いている。この米軍の爆撃の多くはニクソンの秘密戦争と言われた時代のもので、ベトナム和平会談を有利に進めるため、米国はホーチミンルートを叩く名目でその実、爆撃個所はカンボジア全土に及び、結果としてカンボジア農民の反米感情を高め、ポルポト派の勢力伸長の源となった(元国王シハヌーク殿下の証言)。1970年代前半、沖縄の米軍基地から「○○食事」というふざけた名前の作戦で、B52がカンボジアへの絨毯爆撃に毎日のように出撃していた。
掲載画像:地雷の注意の看板と地雷 画像:Khmer Times